NOTE

贈る言葉

25.石井先生①私は、1987年12月26日、東京から長崎へ戻ってきました。
 
そして、翌年の1988年3月3日に、県庁所在地である長崎市江戸町のビルの3Fで、マルヤジムをオープンしました。
 
東京を離れるに当たって、サンプレイで送別会を開いて頂いた折に、現東京大学大学院教授である石井直方先生からいただいた言葉があります。
 
「高西は長崎で目立つから、優秀なスポーツ選手が集まってくると思うよ。日本で活躍する、注目される選手を育ててください」
 
というようなお話しをいただきました。
 
ボディビルダーとしても、東京チャンピオンになって、これからという時に長崎へ帰ることになり、関係者の間では悲観的なご意見が耳に入ってくることがありました。
 
幸い私の心は石井先生にいただいた言葉に素直に反応して、まだ見ぬ未来に向かって楽しみを見出すことができました。
 
長崎へ帰り、マルヤジムをオープンした時には、実は資金を使い果たして、ほとんど余裕がありませんでした。
 
その上、私の両親も含めて身内からは、言葉では言えない不安や心配がヒシヒシと伝わってきました。
 
1988年3月3日の創業日から、3か月間は殆ど夜も眠れない状態で、一人で行うトレーニングも集中できる訳もなく、ただ続けているような感じでした。
 
そのような不安の極みの中で、何度も何度も石井先生の言葉を思い出しては、頭の中で反芻していました。
 
そのうち、ジムが何とか軌道にのってくると、石井先生が言われたことが現実として起こってきました。
 
ジムをオープンして3年目、NBC長崎テレビ放送局で「健康の科学」というコーナーをいただき、レギュラーを務めることになりました。
 
その影響で、私は長崎県内で目立つ存在になっていったように思います。
 
そのテレビ番組をきっかけとして、長崎市内でマルヤジムが知られるようになり、スポーツ選手も集まってくるようになりました。
 
そして、その中から、石井先生が言われたように、日本を代表する選手たちが出てきました。
 
更に、オリンピックでメダルを取るような選手も出てきました。
 
今思えば、
石井先生が私に求めたイメージを、私自身が実現していったように思います。
 
私の未来を予測された石井先生の先見の明には、実現する度に驚き、心から感謝しました。
 
それは、27年経過した今でも続いていて、福岡ソフトバンクホークスの筋トレ指導者もその一つです。
 
石井先生には今でもアドバイスをいただき、私の最高レベルの指導ができていると自負しています。
 
写真:
現役時代の石井先生
 
□—————————-□
マルヤジム 会長
ストレングス・トレーニング・マスター
TAKANISHI FUMITOSHI
髙西 文利
http://www.maruyagym.com/
http://www.takanishi-fumitoshi.com☆更新☆
https://www.facebook.com/maruyagym
</a
>https://www.facebook.com/f.takanishi☆更新☆
http://goo.gl/olSRgh☆更新☆
□—————————-□