NOTE

創業当時と自分のトレーニング

OLYMPUS DIGITAL CAMERA1988年3月3日に、長崎市江戸町において、マルヤジムをオープンした私はそこで、会員様の指導と自分のトレーニングを行なうことになりました。
 
最初の3か月間は、赤字を出しながらも何とか乗り切る頃ができました。
 
毎日毎日、来て下さる会員様に満足していただけるような指導を、心がけるようにしました。
 
それと、30坪のマルヤジムを楽しい空間にするために、雰囲気づくりにも気を付けました。
 
それでも、この次は来ていただけるだろうか?
 
もし、会員様を増やすことができなければどうなるのか?
 
マルヤジムをやっていけないことになったらどうなるのか?
 
1日に3名の会員様の指導といった状況で、その空いた時間のガランとした室内に、一人きりになった時には不安になってしまい、増幅されていくのが解りました。
 
ジムを閉めて、22:00の最終バスで家まで帰るまでの1時間がとても長く感じられました。
 
家で食事を終えて床についても眠ることができず、うなされるようになって、長い長い夜を経験しました。
 
朝は早めに家を出てジムへ向かい、10:00の営業時間前に自分のトレーニングを行なっていました。
 
その時にも、ほとんど集中することができませんでした。
 
このようなことは、それまでの人生で一度もなかったことで、マルヤジムを創業して初めて経験することになりました。
 
3か月を過ぎた辺りから、会員様が徐々に増えてきました。それに伴って、精神状態も段々と良くなり、前向きになってくるのが解りました。
 
地元にいる高校時代の親友や長崎におられたボディビルダーの方には、大変お世話になりました。口コミで、友人や知人を紹介していただきました。
 
当時の時代背景もあり、このような幸運も重なって、1年もしないうちに、軌道に乗せることができました。
 
会員様には、老若男女いろんな方がいらっしゃいました。そのような方々に、何とか続けていただくことができました。
 
トレーニングセンターサンプレイで身に付けた、技術力や雰囲気づくりが役に立ったように思います。
 
振り返ると、マルヤジムはサンプレイを目標にしてきたことが改めて確認できます。
 
そのような状況の中で私は、その年の秋に開催された、全日本ボディビル選手権(ミスター日本)に出場することができました。
 
結果は、残念ながら予選を通過することができませんでした。
 
私は前年の東京ボディビル選手権で優勝していましたので、そのような選手が、全日本で決勝に残ることができなかったということは、過去にほとんどありませんでした。
 
その結果には、大変なショックを受けましたが、その後の飛躍に大きくつながることになりました。
 
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マルヤジム 会長
ストレングス・トレーニング・マスター
TAKANISHI FUMITOSHI
髙西 文利
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